- 菊池捷男
2.私にとっての多様性
私にとって、多様性とは、周回遅れの私でも、ロータリークラブの一員として受け入れられたということです。それのみならず、ガバナーに選任していただいたということです。
実は、この私、後先のことをよく考えないで行動する、いたって軽い人間ですが、同時に、後先のことが分かってくると、そのことを憂い、小心翼々と悩む、肝の小さい人間であります。
ですから、私がガバナーに推薦されたとき、後先を考えることをしないで承諾をしましたが、やがてガバナーの責任の大きさが分かってくると、心は怏々として楽しまない日々を送ることになりました。
まさに“後悔先に立たず”の図を描いてしまったのです。
しかし、捨てる神あれば、拾う神ありといいますか、私は、ある言葉で、この窮境を脱し得ました。その言葉とは、古瀬俱之ガバナーに教えられた、ロータリーの創始者であるポール・ハリスの、次の言葉です。
ポール・ハリスいわく。
「ロータリーとは何か?とロータリアンに尋ねると、ロータリアンの数だけ回答が返ってくる(要は、ロータリー観は、ロータリアンの数だけあって当然だ、というもの)。ロータリアンが寛容であり、誠実・善意であれば、それが我々の求めるロータリーの全てだ。」
この言葉を知って、私は、頭上の暗雲がたちまち霧消した思いがしたものです。
要は、私に、他のロータリアンと違うところ(周回遅れ)があっても、それはそれでいい、と言われた気がしたのです。
この言葉が、私にとっての多様性ということになります。